白橋商店(昭和5年頃)

当店のあゆみ

当店の始まりは昭和9年以前まで遡ります。

当時 “酒屋兼雑貨商” として営業させて頂いておりました 『白橋商店』 に一人の男性客が訪れました。

元々、この男性は店の常連客で先代(白橋米蔵)と碁などを楽しむ間柄でもあったそうです。

気前が良かった先代は、この男性客に快く酒を振舞ったそうです。

後日、再びこの男性が店を訪れ、先代が店に顔を出すと「先日のお礼に。」と包みを手渡し帰って行ったそうです。 包みを開けて見ると中にある物が入っていました。

これが、現在の当店の商品 “馬のホルモン” であり最初の出会いでした。

当時、馬のホルモン等は一般になかなか口にする機会もなく、先代も「どうしたものか?」と戸惑ったそうです。 そして試行錯誤の末、単純に鉄板で焼き塩をかけて食べてみました。 すると今まで味わったことの無い食感と甘味が口の中に広がり、その味わいに驚いたということです。

そこで先代は 「これを売り出したら・・・。」 と思い立ち、その男性に 「常時卸しては貰えないものか?」と話を持ちかけ契約を結んだそうです。 また、人の口にしたことも無いこの商品は盲点をついていました。

太平洋戦争が始まる頃、先代は酒屋を畳む事になりました。 そして、当時、出陣前の兵隊で賑わう歓楽街であった場所で飲食店 『白橋』 を経営しました。もちろん “馬のホルモン鉄板焼” も商品として並んだ事は言うまでもありません。

また、商品化するにあたり塩焼きでは無くタレをかけて食すことにしました。 これが当屋号になった現在まで変わらず引き継いでおります 「特製ソース」 であり、アクセントとして考えられた物が上記同じく変わらない「特製柚子唐辛子」です。

時は流れ終戦を迎えた日本には、満州国より続々と引き上げが始まっていました。

先代の実弟である現屋号『元祖白橋』の初代(白橋定美)も満州鉄道K・K解体後、例に漏れず引き上げて参りました。 これ以降、先代と共に飲食店を切り盛りしていくことになりましたが、先代 “米蔵” が体を壊し引退。以後昭和27年、“定美” はその後を引き継ぎ屋号を『元祖白橋』 に改め、飲食全般ではなく “馬ホルモン鉄板焼” のみという現在のスタイルに変更致しました。

以後、商品やその他に何ら手をかける事無く、また先代・初代共に他界致しました現在は、現屋号になりましてからの3代目となって営業を続けさせて頂いております。

元祖白橋


なぜ甘木で馬なのか?

皆様は馬肉と言えば “熊本” を思い浮かべると思います。 かく言う私も、そう思っておりました。

「なぜ甘木=馬なのだろう?」

このホームページを作成するにあたり当時を知る方に話を伺った結果次のような事がわかりました。

  1. 甘木という所は大刀洗町という町に隣接しています。 この町は当時『太刀洗飛行場』として九州の主要軍施設でした。 因って、軍馬が多々集まっていた。
  2. 甘木は農耕地域であり農耕馬が沢山いた。

以上のような事から、甘木の町中には“バクロウ”と呼ばれる所謂、専門業者が多数集まり “馬市” なる流通市場が出来上がったということでした。

しかし、元来甘木は馬産地ではありません

さらに最近は、パッキング済の輸入品極めて低価格ですが、検疫の関係上か薬剤の使用が見受けられるため防虫剤のような臭いがあります。の流通量増加や市場卸価格の急騰等で、当店も仕入れ・販売には苦労する有り様ですが、細心の注意をはらっておりますので一度ご賞味下さい。